複雑系機械工学

21世紀COEプログラム
「動的機能機械システムの数理モデルと設計論」
工学研究科機械理工学専攻 椹木 哲夫

目的

機械工学は長い研究の歴史を持つ成熟した工学である。材料力学、流体力学からロボット工学、生産工学にわたる研究分野において活発な研究が行われ、それぞれの研究分野において体系化された理論が作り上げられている。これらの理論は、それぞれの研究分野の研究対象に対して作り上げられた個別的な理論であり、いわば「縦型の理論」である。現在、長期的気象変動現象に代表される大規模で複雑な自然現象の解明が機械工学の重要な研究課題となっている。これらに研究課題は、従来の機械工学の各研究分野で個別に解析していた現象がお互いに強く影響しあった複雑な現象であり、その解明には機械工学の各研究分野で蓄積された広範な知識が必要である。一方、自動車をはじめとする様々な機械システムの開発においては、従来の速さ、精確さなど単一の性能を実現することを目的とした機械システムではなく、環境と調和・共存できる機能など総合的に調和の取れた機能を持つ機械システムの開発が要請されている。これらの機械システムの設計では、その機械システムの中で生成する広範な自然法則を深く理解してその設計を行わなければならない。現在、機械工学に課せられた課題の解決のためには、機械工学の各研究分野で蓄積された広範な知識を結集して解決することが必要である。しかし、各研究分野でそれぞれの研究課題に対して作り上げられた「縦型の理論」を単に寄せ集めるだけでは、決して解決することは出来ない。これらの機械工学に課せられた課題を解決するためには、その土台として、各研究分野で固有の対象について体系化された「縦型の理論」を「ある共通の切り口」から検討しその共通性を抽出して、機械工学の「横断型の理論」を作っておくことが必要である。近年、複雑さの科学は、多数の要素が非線形な相互作用を及ぼしあうシステム(複雑なシステム)は、その構成要素の物理的な実態にかかわらず次の普遍的な性質(「複雑さ」)を持つことを明らかにした;複雑なシステムは与えられた環境のもとで、時間的空間的に秩序だった構造(骨格構造)を形成する特徴的な性質を持っている。更に、複雑なシステムは、その骨格構造を作り直して周りの環境の変化に対応する適応機能を内在している。長期的気象変動現象に代表される大規模で複雑な自然現象は、種々の時間的空間的な秩序構造を含む大規模で複雑な自然システムとして捉えることが出来るし、また環境と調和・共存できる機能など総合的に調和の取れた機能を持つ機械システムは、環境適応機能を持った複雑な機械システムとして捉えることができる。21世紀COEプログラム「動的機能機械システムの数理モデルと設計論」では、「複雑さ」の視点から機械工学の各研究分野で行われている研究を整理して、機械工学の「横断型の理論」として「複雑系機械工学」の構築を行った。本講義は、21世紀COE活動の成果に基づいて、「複雑さ」の視点から総合化された機械工学の横断型の理論である「複雑系機械工学」の講義を行う。

講義概要

複雑なシステムは、要素間の局所的なダイナミクスを通して大域的な骨格構造が形成され、この形成された骨格構造は、逆に、要素間のダイナミクスに対して全体として影響を及ぼす。すなわち、複雑なシステムは、局所的な要素間のダイナミクスと大域的な骨格構造のダイナミクスが共存し干渉しあうシステム(マルチスケールシステム)として捉えることが出来る。さらに、骨格構造は環境の影響のもとでその構造を変化させていく。すなわち、複雑なシステムは、骨格構造のダイナミクスを通して環境適応機能を実現する適応システムとして捉えることが出来る。本講義では、まず機械工学の各研究分野で対象とされている複雑なシステムをマルチスケールシステムとして捉え、そのモデル化について具体例をもとに講述する。次いで、複雑システムの環境適応機能を用いた適応システムの設計論について、各研究分野から具体的なシステムを取り上げ講述する。

1.基礎理論(分岐理論)(永田雅人)

複雑なシステムは、要素間のダイナミクスを通して、大域的な骨格構造を自発的に作り出すとともに作り直して行く。この現象は非線形微分方程式によってモデル化される。多くの微分方程式が閉じた形としての解を有するものの、典型的な非線形微分方程式については、良く知られた関数の形でその解を表すことは絶望的である。従って、単に解を解析的に求めようとするのではなく、長い時間にわたる(漸近的な)解の振る舞いの質的情報を得るということに主眼を変えることが求められる。複雑なシステムが、その骨格構造を作り直すことを繰り返すという特徴を、力学系におけるシステムの安定性の喪失と解の分岐の繰り返しと捉え、この現象の数理について講述する。はじめに、双曲型(大雑把に言えば、十分に小さい擾乱をシステムに加えても解の振る舞いは質的に変わらない)の解について基礎を学び、次に、非双曲型の解の近傍での解の振る舞いの質的変化を記述する分岐理論を紹介し、最後に、流体力学における分岐例を示す。

2.量子材料力学(北村 隆行)

材料力学では、従来、機械構造物の力に対する応答に対して、連続体の概念を基礎にしたマクロなモデルが作り上げられてきた。ここでは、要素ダイナミクスに対して量子力学に基づき原子分子のレベルでモデル化し解析を行い、その結果をマクロなモデルに組み込むことによって、原子分子スケールのナノ構造物の力に対する応答のモデル化を行う方法について講述する。

3.ナノバイオメカニクス(安達 泰治)

生体組織である骨は、力学的負荷に応じてその構造を変化させていくリモデリングと呼ばれる環境適応機能を持っている。ここでは、骨の細胞レベルでの化学‐力学変換機構を分子レベルの知見に基づいてモデル化し、それを材料力学に基づく大域的なモデルに組み込んで骨リモデリングのモデル化を行う方法について講述する。

4.力学系に基づく乱流理論(木田 重雄)

乱流現象は、流体力学の主要な研究課題であり、長い研究の歴史がある。従来は統計理論に基づく研究が多く行われてきた。最近、力学系の理論に基づく乱流現象のモデル化が進められ乱流の時空構造が明らかにされつつある。ここでは、力学系理論に基づく方法によって明らかにすることの出来たクエット乱流、等方性乱流の背後にある乱流の骨格構造の力学的、統計的な性質について講述する。また、その成果を基に乱流の時空構造を変化させて乱流を安定化させる新しい乱流制御の可能性についても言及する。

5.数値実験環境流体工学入門(小森 悟)

最近のコンピュータの急速な性能向上に伴い、流体の質量保存則である連続の式、流体に作用する力の釣り合いを表す運動方程式、および、流体に乗って運ばれる熱や物質の保存則を表す輸送方程式を数値計算手法を用いて解くことが、学術的研究から流体装置内流動に関する実用的研究に至る広い範囲で積極的に使用されるようになっている。また、最近では、この数値計算流体力学(Computational Fluid Dynamics: CFD)は高価な計測器や実験装置を必要とする実験流体力学(Experimental Fluid Dynamics: EFD)に比べて利便性が高いと考える研究者も多く、国内の大学においても実験的研究から数値計算的研究に研究の方向を鞍替えする研究室も数多くなっている。航空機等の輸送機器の設計等においては数値風洞に、地球環境予測においては地球シミュレータに代表されるようにCFDは積極的に適用されつつあり、CFDは流体の流動現象を知るうえで万能のものとさえ思われている節がある。数多くのCFDコードが市販されている今日、学側のみならず産側においてもCFDコードの内容も吟味せずに闇雲に数値計算を実行して満足している例も多々ある。しかし、流動現象の解明に関する基礎的研究においてCFDが最も効果を発揮するのは、EFDでは十分な解明ができない問題、例えば、微小重力や危険を伴う流動場のように室内実験が容易に実施できない極限環境下にある流れの場合や瞬間圧力や複雑な境界など特殊環境条件下での流速のように計測ができない情報を必要とする場合などに対してであり、容易に室内実験が可能である流動場に対してはEFDに比べてCFDが特段の価値をもつことはない。実用面でも翼形状の最適設計のように様々な境界条件に対する流動場の変化を見る必要がある場合などではCFDは有用であるが、高レイノルズ数の流れが多いため室内実験が可能な流動場であれば計測技術も進歩した現在においてはEFDの方が確実で手っ取り早く信頼性のある結果をもたらす場合も多い。従って、CFDは、その数値計算法の長所と短所を十分理解したうえで実際の流動場に適用されることが大切であり、市販のCFDコードを盲信して流れの数値計算を行うのは危険である。このような点を含めて、本講義では、CFDとは何かについての簡単な紹介とCFDはどのようなところで価値を発揮するのかについて、環境中での流れに関する直接数値シミュレーションやラージエディシミュレーションの実例を示しながら解説したい。

6.格子ボルツマン法による複雑な流体現象のモデル化(稲室 隆二)

流体力学では、従来、連続体の概念に基づいて流体現象のモデル化が行われてきた。最近、複雑な現象に対する有効なモデル化として、離散要素からなる力学システムとしてモデル化をする方法が開発されてきている。ここでは、複雑な流体現象の離散モデルとして格子ボルツマン法を講述する。格子ボルツマン法とは、流体を有限個の速度(2次元では9速度モデル、3次元では15速度がよく用いられる)をもつ多数の仮想粒子の集合体(格子気体モデル)で近似し、各粒子の衝突と並進とを粒子の速度分布関数に対する格子ボルツマン方程式を逐次計算し、その速度分布関数のモーメントからマクロな流れ場(流速、圧力など)を求める非圧縮性粘性流体の数値計算法である。本講義では、まず、単相の非圧縮性粘性流体に対する格子ボルツマン法を紹介する。続いて、拡散界面モデルを格子ボルツマン法に組み入れた混相流に対する二相系格子ボルツマン法を説明し、最新の応用例を紹介する。

7.人間−機械システム論(椹木 哲夫)

生産という活動は、人間と機械が協調的な作業を行うことによって、製品を作り出していくシステムである。このようなシステムの設計に際しては、人間のモデル化が必要となる。高度の情報処理能力と運動機能を持った人間のモデル化については多くの研究がある。ここでは人間の外界あるいは環境に対する適応行動について取り上げ、基本的な知覚−応答に基づく情報処理活動から、記号過程を介した高次の認識活動にわたるまでのさまざまなスケールでの人間行動のモデル化について説明する。さらに生物の運動の組織化における特徴として、一つの要素の運動が他の要素の運動を誘う働きとしての引き込み現象が知られている。本講義では、このような引き込み現象の数理モデルについて概説し、このような自己組織化の原理を、人間の身体各部(骨格系や神経系を含む)の間の柔軟な協調運動の生成機構や、複数の個体要素の相互作用により生み出される複雑な群行動の創発機構として活用していくための手法について紹介し、最後に、人間の動的な知覚・認識特性を活用したインタフェース設計と人間‐機械システムのモデル化について講述する。


京都大学大学院 工学研究科 機械理工学専攻 マイクロエンジニアリング専攻 航空宇宙工学専攻
情報学研究科 複雑系科学専攻
京都大学 国際融合創造センター
拠点リーダー 椹木哲夫(工学研究科・機械理工学専攻)
本拠点に関するお問合せは 拠点事務局 まで